(左がキビ太、右がアワ子。座っているとキビ太が寄ってくるの図)
あまりにも急な、遠い場所でのキビ太(黍太)の夭逝について
私たちはしばらく咀嚼しきれず、アワ子(粟子)にもそれを伝えられずにいた。
心のどこかで、
アワ子はキビ太を避けまくっていたから、
関係ないわって顔をするんだろうな。
それでがっかりしたくないな。
という思いもあった。
この二人がどんな関係を築いていたのか、
実際のところは誰にもわからないけれど。
(つくば、いすみ、大子と、アワキビは雑草屋のフィールドをあまねく草刈りしてくれた)
キビ太の訃報から4〜5日経ったころ、
アワ子の様子がおかしい。
キビ太のことがわかったのかな。
夫に言われて見に行ってみると、
アワ子の身体が霞んだような気配を放ち、
透徹した表情でじっとこちらを見つめて佇んでいた。
あのひと、死んだのね。
とでも言っているような目だった。
言ってなくてごめんね。
キビ太は新しいおうちですぐに死んじゃったんだ・・・
アワ子はそれからしばらく、
生命力がぐっと弱ってしまい、そのまま儚くなるのではと心配もした。
でも秋から冬に向かうにつれ、なんとかまた調子を取り戻した。
子ヤギのときから夫が可愛がって育てて、
きっと第一夫人のつもりでいたアワ子。
(何なの、このチビッコは)
(やめてよっ)
私と長女が来てからは見事にソリが合わず、夫には従順なのに、
私に対しては犬みたいな唸り声で威嚇し、角で頭突きし、追い回され、、、
それはもう、大変だった。
(まだ認めてないわよっ)
賢いアワ子。
しっかり者のアワ子。
毒のある草は決して食べないし(キビ太はなんでも食べちゃう)、
首輪と鎖でつないであっても、
一人であればほとんど絡まることがない。
(キビ太が一緒だと二人で絡まっちゃうことが何度もあった)
繁殖期に入るタイミングでオスヤギといなかったためか
妊娠のスケジュールからすっかり逸れてしまったようで、
オスヤギを連れてこようとも、短期嫁入りさせようとも、
誰が相手でも決して妊娠することなく、気難しく、おひとりさまを貫いた。
すっかりおばあさんヤギのアワ子。
大子町に移住すると、冬の寒さが老婆にはつらかろうと
夜は納屋の中に寝かせるようになった。
2月の終わりごろには、私へのツンケンした態度が軟化して
エサをあげたり、移動したりもスムーズにできるようになって、嬉しかったのに。
思えばそれは、老衰のサインだったのだ。
地面にたいして深く杭を刺さなくとも、鎖を引っ張って脱走しなくなった。
頻繁に座りたがって、斜面などくつろげない場所ではオロオロした。
3月初旬、近所を夫や子ども達とアワ子とでお散歩して、
ゆっくりゆっくり歩みを進めつつ、河原の美味しい草をたくさん食べた。
けれど帰り道はもう、すぐ座り込んで、何度も休んで。
「おばあちゃんになったんだね・・・」と子ども達は報告してくれた。
夫は私に「アワ子、そろそろダメかもしれない」と言った。
翌朝、納屋でアワ子は冷たくなっていた。
夫がエサをあげに行って気がついた。
夫は朝から会議があったから
泣きながらお布団みたいに麻袋をかけて仕事に行って、
埋葬は昼まで待つことになった。
アワ子がんばったね、がんばったね、
ごめんね、ごめんね・・・
出勤前の夫は、長いこと撫でていた。
幸せだったんだろうか。満足できただろうか。
もっといい暮らしをさせてあげればよかった。
逝ってしまってから、悔やむことばかり。
お昼に舞い戻ってきた夫と相談して、
家のすぐ裏の山の、静かな場所に埋葬することにした。
藪を払い、見晴らしを確認して、場所を決める。
家族みんなで穴を掘ったあと、夫がアワ子を抱えてきた。
夫が泣きながら、丁寧に、きれいにしてあげて、そっと寝かせた。
昔はもっと小さかったのに、大きくなって、おばあちゃんになって・・・
と振り返ると私も(仲が悪かったはずなのに)泣けて困った。
アワ子きれいだね、ねんねしてるね、と子ども達に話しながら
大好きな葉っぱやお花、米ぬかなんかを一緒に埋めてあげた。
これからもっと手入れして、
荒れたこの山を、果樹園と畑に戻していく。
きっとマイペースに、お茶を摘んだり栗を拾ったり、
キノコを育てたり果物を植えたり。
そんな私たちの声が響く山の中腹に、アワ子が眠る。
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ダウンシフトを進めていこうと、やっぱり思います。