2015年08月12日

『 いとし子よ 』

戦争が長びくうちには、
はじめ戦争をやり出したときの名分なんかどこかに消えてしまい、

戦争がすんだころには、
勝ったほうも負けたほうも、
なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。

そうして、生き残った人びとは
むごたらしい戦場の跡を眺め、口をそろえて、

――戦争はもうこりごりだ。
 これっきり戦争を永久にやめることにしよう!

そう叫んでおきながら、
何年かたつうちに、いつしか心が変わり、
なんとなくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。

どうして人間は、こうも愚かなものであろうか?

私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。…


わが子よ!

憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。

憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、
日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。

どんなに難しくても、
これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。

自分が実行するだけでなく、
これを破ろうとする力を防がねばならぬ。

これこそ、戦争の惨禍に目覚めた
ほんとうの日本人の声なのだよ。

しかし理屈はなんとでもつき、
世論はどちらへでもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から
憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が
出ないとも限らない。

そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、
世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。

もしも日本が再武装するような事態になったら、
そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノよ、

たとい最後の二人となっても、
どんな罵りや暴力を受けても、

きっぱりと戦争絶対反対≠叫び続け、
叫び通しておくれ!

たとい卑怯者とさげすまされ、
裏切り者とたたかれても
戦争絶対反対≠フ叫びを守っておくれ!


敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、
みすみす皆殺しにされてしまうではないか?
――という人が多いだろう。

しかし、武器を持っている方が果たして生き残るであろうか?
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?…

狼は鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。

ところがハトは、何ひとつ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。…

愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、
平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。


いとし子よ。

敵も愛しなさい。
愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。

愛すれば愛される。
愛されたら、滅ぼされない。

愛の世界に敵はない。
敵がなければ戦争も起らないのだよ。」


長崎に投下された原爆で被爆し、夫人を喪い、
その後、43歳にして被爆により命を失った永井隆博士が
二人の子ども達に遺した詩です。

nagai_takashi.gif
(写真はwikipediaより引用)



戦中・戦後を生き抜いた祖父母らがいて、今の私たちがいる。
お盆、そして終戦記念日。

祖父母の語る戦争も、折々に書き留めていきたいと思います。



こちらのフォトギャラリーも合わせてご紹介させていただきます。

繰り返される紛争――写真で見る「今」と70年前の日本

posted by miya at 18:55| Comment(0) | 戦争と平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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