10年ほど前に比べて、
「素敵じゃないといけない」圧力が強まったように感じている。
スマホの普及、写真の編集アプリの進化、インスタグラムの広がりなどから
個人個人の素敵な暮らしや食べ物などが、大量に発信されるようになった。
日常を切り取っただけの写真が、
さりげない風なのにすごく素敵。
そんな写真が世の中に溢れすぎて、
自分の思い出のために撮る写真さえもいつしか、無意識のうちに
“人に見せられる写真かどうか” のふるいにかけられる。
窮屈。
その窮屈さは、自分が生み出しているにすぎない。
誰かと比較するから、苦しくなる。
友人知人、あまりにもみんなが素敵に暮らしているように感じる。
遊びにいくと信じられないほど片付いていたり、お洒落だったりで
自分の家に帰ってくると寝込みたくなるほど。
うちは家のとなりにほぼ廃墟の納屋があって
あまり写真映えしないので、そんなに撮らない。
でも、毎日この崩れゆく納屋を眺めて暮らしている。
納屋に入れられない農具が玄関の中や外を埋め尽くしているのもまた、
わざわざWebに書かない、どうしようもない、見栄えのしない日常。
どう捉えるかは、自分次第なのに。
「快適か」「心地よいか」「幸せか」が
「素敵かどうか」に知らぬ間に紐付けられていて
がんじがらめになっていることが多い。
化粧をしないのは、楽。
でもすっぴんで人に会うと、落ち込む。
お洒落は興味がない。
でもお洒落な人たちに会うと、いたたまれなくなる。
皆が寝静まった夜こそ思い切り片付けるぞと意気込んでは、
スカスカの燃えカスみたいな心と身体で、呆然と立ち尽くす。
0と100の極端なシーソーに揺られて、
程よいバランスを見出せずに苦しい日々。
家族みんなが車に乗って、
私だけちょっと降りて、お散歩をさせてもらった日。
ぽかーんと空を見上げながら歩いた。
山はいいなぁ。空はいいなぁ。
誰に何と思われたって、山は山、空は空。
それなら、私は、私?
自分のしたい事、食べたいもの、会いたい人、行きたい場所。
どれもが家族の予定や効率や関係性の中でもみくちゃになり、
すっかりわからなくなってしまったことに、気がついた。
母でも妻でもない、専業主婦でも雑草屋でもない、
存在としての私を、私は許していないんじゃないかな。
受け入れてあげられないから、ずっと苦しいんじゃないかな。
それなりに身繕いをして外に出るのも、よし。
何もしたくなくて家にこもるも、よし。
明日の私は、素敵じゃなくていい。
母でも妻でもなく、自分が自分でいられる、
自分の嬉しいことをひとつ、しよう。
そう決めて、涼しくなってきた夜に
タオルケットを二枚重ね、蓑虫のように眠る。
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【後日談】
この記事を読んで心配した夫が、
美味しいプリンを2つも買ってきてくれました。
うむうむ。ちょっと元気出ました。
* * * お知らせ * * *
ひきこもり当事者および、元当事者、
人間関係など悩みを持つ方、生きづらさを抱える方限定の
ただ居るだけでいい場所。
9月下旬、茨城県南エリアにて開催だそうです^^
⇒ 9月27日(日)新月カフェVol.39 in つくば
* * * まかない日記 * * *
年配のご婦人にお会いしたとき、
アイスだのお菓子だのと子ども達に出してくださったのをご遠慮したら
冷たい刺身こんにゃくを持たせてくださいまして。
市販の柚子味噌はちょっと中身があれなもんで、
自家製味噌にみりん、柚の酢(柚子果汁)をよく溶いて、即席柚子味噌を添えました。
夏野菜の揚げ浸しを麺類にのっけて晩ご飯。
うどんと素麺を時間差で茹で、うどんは1歳児に(つまみやすいらしい)。
他の人たちは、「時折うどんの混じる素麺」を食べています。
摘むだけ・切るだけのトマト、蒸し茹でするだけのオクラに毎日助けられています。
お天道様、ありがとう。