1ヶ月ほどで、執筆した時期に日付を移動しようと思っています。
(2019年春の原稿で、内容は2年ほど前のものです。)
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(2019/04/25執筆 会報no.246 5月分)
【お気楽自然育児Vol.6】奥が深いよ「自然なお産」
miya :ホームスクール&家庭保育で9・4・2・0歳の子育て中
茨城県北の大子町に移住しました!
茨城県北の大子町に移住しました!
3月12日。出産予定日の前日に、我が家に4人目の子どもが誕生しました。引越し予定が二転三転し、お産の場所も出張助産師さんも、茨城県の守谷から栃木県の那須、千葉県まですべて検討したり相談に行ったりとバタバタ続き。自宅出産難民からプライベート出産に踏み切るまでと、お産のあれこれを振り返ります。
●どこで?誰と? ぎりぎりまで揺れた出産スタイル
流産しやすい私は、妊娠3ヶ月頃に初めて妊娠検査薬を使います(自己責任です)。夏の終わりからつわり全開で陽性なのは当然でしたが、9月半ばに検査薬で陽性を確認後、さて行くか〜と9月下旬に守谷助産院で診察してもらいました。元気な胎児を確認できたのですが、もう80歳になられる白井先生、なんと守谷助産院を別の先生に引き継ぐとのこと。ガーン。産婆さんさながらの見識と大らかさ、白井先生のもとで産みたかった…と落ち込む暇もなく、二人の先生との妊婦健診が始まりました。(※自宅出産したいつくば&周辺の方、守谷助産院にご相談を。)
予定日は3月13日。2月には茨城の最北、大子町に移住を予定していたので、守谷から2時間かかる大子町はちょっと…と言われ、県北の出張助産師さんを3名教えていただきました。中期までは守谷で診てもらい、後期は県北のどなたかと進める予定でした。
私は2人目以降、数十分のスピード産で(過去会報に書いています)、助産師さんが到着に間に合わないのが大前提、それでOKなのですが、白井先生が直接交渉してくださった先生に電話で相談したところ「大子町なんて雪が降ったら辿り着けない」「責任取れない」などなど、かなり及び腰なお返事。結局「ご自身でお近くの産院などを探してください」と連絡があり、助産院探しは振り出しに戻りました。
大子から一番近い出張助産師さんは那須方面、栃木県大田原で開業したばかりの、こうのとり助産院。経緯をお伝えするとかなり面食らった様子でしたが、分娩の仮予約が取れました。ただし入院してのお産が立て込んでいるので先生も出張はできず、入院して産むことに。でも陣痛が来てから移動しても絶対間に合わない!夫と助産師さんと相談した結果、「車で40分の距離でしたら家で赤ちゃんは産んでから車に乗せてもらって、なるべく胎盤が出る前に着くのが出血の心配がないでしょう」なんて具体的な提案をしてもらい、ひと安心。次女と長男を夫が一人で取り上げてきたこともあって、先生も大胆なプランに思い至ったようでした。
しかし今度は、千葉から大子町への移住予定が二転三転。ほぼ決まっていた物件の家主さんが条件を変えてしまい、次に決まりかけた別物件では先住の方の退去時期が遅れて2月に入居できなくなって…出産前の引越しが怪しくなってしまいました。
守谷助産院は隣に滞在できる一軒家があるから、一家で守谷に泊り込んで産もうか?との話も出ました。しかし飼いヤギの世話を考えると無理そう。このまま千葉で産むか?出張助産師さんはどれもいすみ市から1時間以上かかる距離ですが、伊東先生(※)ともつながりのある先生が1時間のところにいらしたので、ここに相談しよう!と決めました。でもすでに妊娠後期。また断わられたらどうしよう…お叱りを受けるのでは…と、ついつい電話をかけるのを後回しにしてしまいます。
まだ引越しが産前になるか産後になるか、関係各所と丁々発止の段階で、後期の検査を受けに千葉で近所の個人病院(もりかわ医院)を受診。森川先生は見た目、夫と同年代の男性なのに発言は産婆さんみたいな方で「足が冷たいよ、こんなんじゃまだ冷えてる。もっともっと足をポッカポカにしてね」「実はお腹張るでしょ、尿モレも。ちゃんと腹帯かトコちゃんベルト巻いて!赤ちゃんを上に戻したら張らないよ」「陣痛きたらお産早いタイプじゃない?」なんて言うので感心してしまいました。これまでに出会った数々のお医者さんに、まともなアドバイスをもらったことはなかったですから。さらに引越しの不安もやんわり伝えると「引越し前に生まれたら救急車呼ばずにうちに来てね、カルテあるんだから。(個人病院だから)正産期以降じゃないと受け入れできないけどね」「あなたは絶対に安産だね、まず早産にはならないから安心していいよ」なんてありがたいお言葉。
もしかしたらこのままどこにも頼めずに、自宅で家族だけで、いわゆるプライベート出産というものになるかも、と夫婦で話していた時期。アパートから目と鼻の先のもりかわ医院に心強い言葉をもらい、引越し先や時期がはっきりしなかったら、家族で産もうかな、との思いが強くなっていきました。
実は出張助産師さんにも色々あって、自然派の我が家と意気投合する場合もあれば、「何かあれば助産師界全体の評判を落とすから勝手なことしないで下さい」という先生と方針が合わない場合もあり、新たに関係性を築くのが億劫に…。スピード産なのを伝えると、同じ出張助産師さんでも「責任とりたくない派」と「大丈夫派」に分かれます。私たち夫婦にとって、誰にお産を委ねるか、というのはすごく大事なことだったのです。
●はじめてのプライベート出産
たくさんの方に「ちゃんと医療従事者のもとで産んでね」「何があるかわからないのがお産だよ」と釘を刺され、素直に粛々と妊婦健診を受け続けつつも、『プライベート出産』って実際どうなのか、周りの経験者たちに聞いて回りました。南房総には一度も診察を受けずに本能だけで2人産み育てている友人がいるし、育児の会のOGさんやお友達にも話を聞きに行きました。千葉では一番近所にブラウンズフィールドの中島デコさんや長女のシネマちゃん(里帰り出産)がいるから、いざとなればここに相談しよう、とも思っていました。
どこで誰とお産するか決まらないうちから、すべての助産師さん、お医者さんたちに疑問点をどんどんぶつけて、対策を教えてもらっておいたのも、思えばプライベート出産に踏み切る布石だったのかもしれません。(※お産に関するQ&Aと、実際のお産で実行したことなどは後でまとめてご紹介します)
3月12日。予定日は明日。さぁ、産後しばらくはお風呂にも入れないわ〜と、お風呂を沸かしてもらいました。半月ほど続いたお決まりの前駆陣痛に振り回され、暖かな房総半島の気候も相まって、汗が気になっていたのです。前駆陣痛の合間に「まだまだ、まだ産まれない、だって絶対お風呂に入りたいからー」と呟きながら服を脱ぎ、お風呂に岩塩とアロマオイルを溶かして、1時間ほどのんびり半身浴。痛みもなくなって、あー贅沢♪髪も洗ってさぁ出ようという18時頃、いきなり強い本陣痛が始まりました。
最初から3分間隔の本陣痛。絶対にドライヤーで髪を乾かすんだと妙な執念を燃やして、陣痛の合間にざばぁっと湯船から立ち上がって体を拭いては、陣痛の痛みに「やっぱ無理〜」と温かいお湯に浸かりなおすこと数回。夫は脱衣所にバスタオルを敷き、お産セットを用意して準備万端です。夫が時計を見て時刻を読み上げ、別室の長女が下2人の相手をしながら陣痛の間隔をメモ。「服着たい〜 髪乾かしたい〜」と唸りながら湯船から出られない私。結局痛すぎてもう無理〜!となり、「ここで産む、お風呂で産む〜」「産んだらお布団で寝っ転がりたい、バスタオルもお産セットもお布団に移動して〜」など、こまごまと夫にリクエストしました。
お風呂で陣痛がぐっと進むとか、お湯の温かさで陣痛を和らげるとか、自然分娩の本で読んだことは本当でした。温かいって素晴らしい〜と絶賛しながら浴槽のへりにつかまって陣痛に耐えるうちに陣痛は1分間隔になり、もう絶叫。パチンと弾ける感覚に「破水した!」と大声で伝えました。
痛いのが苦手な私は、育児の会でも何人かが言っていた「オキシトシンのシャワー」「ピンクのお花畑」が信じられなくて、でも何とか陣痛の痛みを喜びにつなげるべく、前駆陣痛の頃からイメトレをしてきました。それは、大好きなムラサキハナナと菜の花が咲き乱れる中を、赤ちゃんがハイハイしてやってくる光景。湯船で陣痛のたびに細く長く絶叫している間もひたすら、紫と黄色のお花畑を進んでくる赤ちゃんを思い描いていました。
痛みが最高潮を迎え、赤ちゃんの頭が出そう!というときには夫がお風呂場に来てくれました。「頑張ってるねぇ、エライねぇ、すごいよー、えらいよー」言葉を尽くして夫に励まされながら、ついに赤ちゃんの頭が出ました。泣くでもなく眠っているような、ぬーんという顔だったそうです。ふと赤ちゃんが溺れたらどうしようと思って、湯船の栓を抜きました。下半身のアレコレが赤ちゃんの頭で押し出されて出ちゃうちょっとアレな件も、排水口に流してもらうことに(なんて楽チン!)。
さらに2回ほどの陣痛を経て胴体も出た瞬間、「ほぎゃあ、ほぎゃあ」元気な声が響き渡りました。赤ちゃんは浴槽内で夫が両手で受け取り、手を伸ばしていた私に即座に渡してくれました。これまで、タオルで拭かれた後の赤ちゃんしか受け取ったことがなかった私は、クリーム状の胎脂でべっとりとした赤ちゃんにびっくり。ぬるっとすべりそうなのを注意して胸元に抱き取ります。全身で産声をあげている小さな赤ちゃん、これがお腹にずっといたのねと思うと、まだまだ痛みの余韻があるけれど「可愛いねぇ、可愛いねーぇ」と、思わず声が出ました。産んですぐにこんな気持ちになれたのは初めてでした。
出産したのが18時半。本陣痛の開始から32分で産まれました。次女の15分、長男の50分の中間といったところでしょうか。メモを見ると3分間隔が5回、2分間隔が6回、1分間隔が9回。なんにせよ予想通りのスピード出産でした。
湯船で胎盤が出ると産道からお湯が体内に入った場合に感染症の可能性が心配、と本で読んでいたので、まだ胎盤が出ないうちに、夫にお姫様抱っこでお風呂から布団へと移動してもらいました。母子ともに拭いて拭いて、乾いたタオルを敷いて古い布おむつを何枚もあてて、後産の準備もばっちり。
赤ちゃんを胸に乗せて落ち着くと、夫のOKが出たらしく、子ども達がそろそろと寄ってきます。「かわいいー!」「ちっちゃーい!」の合間に「おかあさん、ちがでてるー(涙)」気遣わしげな2歳長男の声。移動のときに少しだけ廊下に垂れたんです、血が。陣痛の叫びも全部聞いたはずで、かなり心配してくれているようでした。
●胎盤が出るまで19時間以上
後陣痛の痛みにも温かさが効くと思い、湯たんぽを3つ作ってもらってあちこちにあてて乗り切りました。温かいって素晴らしい〜。しかしいくら後陣痛で苦しんでも、胎盤は全然出てくる気配がありません。赤ちゃんに乳首を吸わせようとするものの、まだ夢の中にいるような様子。時折わずかに目を開ける以外は、うっとりと眠ったままでお乳を咥えるそぶりも見せません。疲れているのかなぁと、へその緒に注意しながら脇に抱いて寝かせ、私もゆっくり休みました。布団の中では、母子ともにほぼ裸でバスタオルやおしめの上に寝ていたので、全裸の赤ちゃんが布団の中でおしっこをしても、さっとタオルを替えるだけで対処できました。(こういったお世話は全部夫です、自分ではやれませんでした)
夜も夫は寝ずの番、後陣痛の波がくるたびに駆け寄って世話してくれるのに、胎盤の出ない申し訳なさ。夕方18時半に出産したけれど、20時、24時、深夜2時になってもまだ出ません。経験上は産後すぐに胎盤が出るし、白井先生たちからも、遅くとも1〜2時間で出すほうがよいと聞いていたので、焦りが募ります。長男出産のときに白井先生がしてくれた、胎盤を押し出すマッサージ(?)を思い出し、子宮が収縮するたびに試みるものの、痛すぎて気絶しそうに。何時間かは繰り返し頑張りましたが、「こんなに痛いってことは、やんないほうがいいんじゃない?そもそも動物だったら必要ないんじゃ?」と思い始め、夫にも「何か変だよ、頭で考えるより体が絶対だめって言ってる気がする」と伝えて、自然に胎盤が出てくるのを待つことにしました。
「朝になっても出てこなかったら(近所の)もりかわ医院に行こうか」と言われ、「友達も翌日まで待ってみたって言うし、もうちょっと調べてみようよ」と懇願。夫がWeb上で情報を探しまくって、14時間待った人のブログ記事を見つけてくれました。そのご夫婦が参考にしている自然分娩の本には、江戸時代のお医者さんの文献から「胎盤を1日2日待つのは当たり前、7日後に出る人もいる」と引用してあったそうです。極めて冷静で論理的な書き手さんだったので信頼できると感じ、私たちも落ち着いて待とうと腹をくくりました。
(お産から16時間、まだつながったままの二人)
とはいえ、ちょっとだけへその緒を引っ張ってみたり(ウンともスンとも言いませんでした)、おっぱいを刺激して子宮の収縮を促進させてみたり、多少のちょっかいも出してはみたんですが。どうにも出てこないので、朝には「もう、そのうち出てくるやろ〜」と開き直り、なるべく寝ました。1〜2時間おきの不規則な後陣痛を痛がりつつ、13時半すぎ、ついに大きな後陣痛の波がきて、かなり大きめの胎盤が出てきました。出るときは夫が洗面器かホーローおまるを構えて胎盤を受け取り、重さも量ってくれました(平均的な胎盤が500gに対し、なんと776g!大きい!)。赤ちゃんの誕生から胎盤が出るまで、実に19時間37分!よく待ったものです。
胎盤が子宮からはがれると出血が起きます。私の出産は毎回、出血が大量で、次女のときは脳貧血で何度も卒倒していました。血が止まりにくい体質なのかと思っていましたが、なんと今回、最も出血が少なかったのです。存分に子宮が収縮した状態で胎盤が出てきたのは、4度目の出産を迎える母体が、ダメージ(出血)をなるべく減らすように調整してくれたのかもしれません。骨盤をさらし(産後ケアベルト)でぎゅっと締めてもらい、古いおしめを3〜4枚あてた上から産褥ショーツを履かせてもらうと、ひと安心。
脱ケミカルの一環で今回、初めて産褥パッドを1枚も使わずに産後を過ごしました!たくさんの古おしめをじゃんじゃん交換していったのですが、これが極上の肌触り♪今まで使っていた産褥パッドとは比較にならないほどの気持ちよさでした。(布おむつ派のみなさん、汚れが気になるおしめは捨てずに取っておいて、次のお産でぜひ産褥パッド代わりに使ってみてください^^)
新生児黄疸が非常に非常に強い、我が家の子ども達。次女も長男も苦労したので、何とか黄疸を軽減できないかと助産師さんたちに聞いたところ、こうのとり助産院の山田先生から「だから西洋医学では産まれてすぐにへその緒を縛っちゃうんですよ」との答え。さらに黄疸の仕組みについても(夫が)調べまくった結果、「赤ちゃんが産まれて3分後くらいにへその緒を紐で縛る」と決めました。自然なお産の本では、赤ちゃんが胎盤よりも上にいれば黄疸は起きないとも書いてあるんですが、背に腹は代えられません。胎盤が出てから切るつもりでいたので、赤ちゃんと私はへその緒で19時間以上つながったまま。胎盤が出たらへその緒のもう一箇所も消毒した紐で縛り、二つの紐の間を消毒したハサミで切りました。
へその緒を切ったあと、夫は胎盤の下処理に取り掛かり、今回またレベルアップした美味しい胎盤料理の数々を作ってくれました。前回と同じ刺身(生姜醤油で)&煮付けだけでなく、ボイルしてレモン塩をのせたおしゃれなものと、塩して焼いた焼肉風まで!夕方から翌日にかけて、大喜びで食べまくりました。前回に比べて、食べても食べてもまだある、と驚くくらい、やっぱり今回の胎盤は大きかったです。
●Q&Aと実践したこと
出産についての疑問・不安を、妊婦健診で医療従事者の方々に会うたび、プライベート出産体験者に会うたびにどんどん聞いていった内容について、まとめてみます。(情報の利用は各自の自己責任で!)
助=助産師
医=産婦人科医
体=プライベート出産の体験談(口頭&Web) で書きます。
「妊娠後期のお腹の張り、子宮口の痛みはどうすれば?」
医:腹帯やトコちゃんベルトで下がってる赤ちゃんの位置を上に戻してあげる。子宮口を圧迫しなければ張らない。
体:動きたくないときは動かないし、動きたければ動く。頭で考えすぎずに体に従う。
⇒さらしで骨盤を締め、安静にしてました。
「新生児黄疸を予防・軽減するには?」
助:西洋医療では出てきたら早めにへその緒を結ぶ(血液を逆流させないため)。
⇒3分後に結びました。
助&医:とにかく産後は陽に当てる。あまり神経質にならなくても1ヶ月陽に当てれば大丈夫。
⇒日々実践。
助:母親がO型、父親がそれ以外の血液型の組み合わせの赤ちゃんに黄疸が多い。
「会陰の傷をトラブルなく治すには?」
助:ゆっくり産んで会陰をしっかり伸ばしてあげるに限る。ちゃんと伸びていれば割けない。
助:本来、血は汚いものではないので(※傷を治してくれるという意味)、正座で赤ちゃんの世話をしていれば縫合なしでもきちんとくっつく。あぐらがダメ。
助:産褥熱は会陰の傷ができた人に起こる。昔は清潔でない古布をあてることがあったから、ばい菌が入りやすく、産褥熱を起こした。
⇒2cmくらい割けました。トイレでの汚れが心配だったので、清浄綿を買っておいて産後はトイレでこまめに拭きました。傷口の消毒は、アルコールだと絶対に痛いと思い、抗菌力の高いティーツリーオイルを塗ってもらっていました。香りがよく、スウスウするけどオイルだから傷口にしみることもなく、とても良かったです。
「後期検査のGBS(B群溶血性連鎖球菌)にひっかからないためには?」
(GBS陽性となると出産前に1週間ほど抗生物質を飲み続けるか、分娩時に抗生物質の点滴をしながらの分娩になる)
助:本来は常在菌にすぎないので、体温をあげてとにかく抵抗力を高くしておけば大丈夫。
⇒クリア!
助:検査自体の拒否をする場合は、母子両方の責任を問わない書面を書き、医師・助産師双方に提出する。
「産後の出血を少なくするには?」
助:胎盤のはがれで無数の血管が千切れた状態。子宮が収縮すれば傷口が塞がる。輪状(りんじょう)マッサージでとにかく子宮を早く収縮させる。
医:スピード出産ということは出血も出やすい。骨盤を早く締め、子宮も早く収縮させる。
⇒胎盤が出た後、すぐに産後ケアベルトで締めました。
「へその緒の処置はどうするか?」
助:二箇所を紐で結んで、その間を消毒したハサミで切る。
体:そのままくっついたままで過ごした。4〜5日でカリカリになって取れた。
「おへそのケアはどうするか?」
体:自然に乾燥して治った。
⇒長男出産のときのおへそケアキット(粉と消毒液)を使うつもりが見つからず、おへそを日光にあてて乾かす日々。へその緒は5日で取れ、そのあとのジュクジュクは特に意識して日光にあてると(へその緒が取れてから)3日で治りました。念のため、あとで助産師さんに聞いたところ…
助:今は粉も意味がない、治る日数が同じということで、おへそケアは消毒液のみになっている。(えぇー!)
※会陰の傷のケア、新生児黄疸対策、おへその処置など、
詳しい経過はこちらにまとめています。⇒医療的Q&Aと実践したこと
●時間がかかる、でも意外と穏便だった行政手続き
プライベート出産への周囲の、特に行政の風当たりの強さは様々な体験談を見聞きして知っていました。盗んだ子じゃないことを証明するために、妊娠中の妊婦姿の写真もへその緒も必要とか、近所の人が通報しちゃって市役所・保健センター・児童相談所の職員が自宅に詰め掛け、厳しい取り調べを受けた、とか…。
そんなの産後の心身には辛いだろうから、出生届はなるべく後で、期限ぎりぎりに出そうと思っていた、のですが。産後3日で急にアパートの改修工事が決まって、騒音と暗闇で生活が困難になることが判明。急遽、友人宅に身を寄せつつ、茨城県北の大子町への移住を早める調整をし、なるべくすぐに引っ越したくて産後5日目には出生届を出してもらいました。見聞きした失敗談を参考に、母子手帳に出産時の情報はきっちり記入、身長体重なども全部測定して書き込みました。
幸いにも提出先の役所(千葉県いすみ市岬庁舎)は、ブラウンズフィールドのデコさんの長女、シネマちゃんのプライベート出産も対応していたため、大騒ぎになることもなく、シネマちゃんの書類を引っ張り出して参照しながらの穏やかな行政手続きだったそうです。まず、妊婦健診をひととおり受けてあり、エコー写真や健診の記録、検査結果や領収書まで揃っていたことが良かったようでした。また、窓口の人たちにプライベート出産の対応経験があるかないかでも大きく違うようでした。
そして2週間後、法務局の方が自宅を訪問して事情徴収。とはいえ波風立たぬようとても気を遣って丁寧に接してくださいました。(地方でも年に1人はいるとの事) 数日後、ついに赤ちゃんに日本国民として戸籍と住民票が与えられ、4月初旬には家族全員の住民票を茨城県へ移動することができました。友人から聞いていたとおり、認められるまでには届出から2週間以上かかりました。
●自宅出産後の生活は…
良かったこと:出産の様子を見ていたので、2歳の息子でさえ母への気遣いをするようになっていました。また、近隣の仲間たちがちょこちょこ手作りのおかずを差し入れてくれたり、上の子ども達を遊びに連れ出してくれたりして本当に助かりました。
困ったこと:夫が一人何役もこなしていて、時には殺気立っていて、怖いし、気兼ねしたり我慢したり無理したりで意外と私までヘトヘトに…。上の子ども達がいると、産婦のケア以外に、子どものお世話にもかなりエネルギーを取られるので、夫には申し訳なかったな、と思います。本人は、すっごく楽しかった!!と言いきっていますが。。。
あと、もう出産はしないと思うけど、万が一そうなったら、今度は自宅で産んだ後、美味しい料理と至れり尽くせりのケア、ラグジュアリーな入院生活…ってのをしてみたいかも!
好きな言葉は「リスクヘッジ」、石橋は叩きまくって渡る前に壊しかねない私ですが、いろんな事情が重なって、一度だけでもやってみたかったプライベート出産を体験することができました。もちろん責任は取れませんから、誰にでも勧めていいものではないし、お産は決して侮ることはできません。ただ、胎盤が20時間近くかかって出てきたことや出血がとても少なかったこと、産後の経過がとても穏やかで順調だったことなど、まだまだお産は奥が深いなぁ、と思います。
今回も素晴らしい医療従事者の方々に出会うことができ、たくさんの学びをいただきました。フル稼働で頑張ってくれた夫、本当にありがとう!そして忠告から体験談まで、貴重なアドバイスをくださったみなさんにも、心からお礼申し上げます。長文にお付き合い下さりありがとうございました。
※blog『雑草屋の嫁日記』でラベル「自宅出産」のついた記事に関連記事があります。興味のある方はよかったらどうぞ〜。
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関連記事:この連載原稿は以下の各記事をまとめ、行政対応を書き加えたものです。
プライベート出産記(1)自宅出産難民
プライベート出産記(2)お風呂で産んでみた
プライベート出産記(3)胎盤が19時間以上出てこない
プライベート出産記(4)医療的Q&Aと実践したこと
続きが書け次第、更新します、多分…(行政手続きや胎盤レシピがまだなのです)
つくば自然育児の会 連載記事一覧:
【Vol.19】冬こそ!「熱源の確保」[2021/11/29]
【Vol.7】セットで大切「食と農」[2019/06/20]
【Vol.6】奥が深いよ「自然なお産」[2019/04/25]
【Vol.5】未来を守る「持続可能な子育て」[2019/02/17]
【Vol.4】まずは家庭で「お手当て」 [2018/11/29]
【Vol.3】強い子になる「外遊び」 [2018/09/22]
【Vol.2】気軽に試そう「布おむつ」 [2018/06/19]
【Vol.1】春夏に楽しむ「おむつなし育児」 [2018/05/12]
電子レンジなし生活のコツ [2015/08/07]
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