人生で最初の記憶は、腰が据わった頃のこと。
それは祖母方の親戚の集まりで、広い座敷で宴会をしていて、
私はまだハイハイができなくて、座らされていた。
0歳の私と、1歳の姉(S)が訪れて
やんややんやと、大人たちは盛り上がっている。
忘れもしない。
「Sちゃんはこんなに器量良しやのに、
miyaちゃんは・・・えらい、へご(不細工)なねぇー」
「ほんまに、どうしてやろ〜
お父さんもお母さんもきれいやのにねぇ」
みんなで顔を覗き込んでは、好き放題に言って大笑いしている。
幼い頃の私は、親曰く「粘土を丸めて潰したような」顔で
「へちゃむくれ」と呼ばれていた。
鼻がぐっと奥に押し込まれて、口がぐっとへの字だった。
とはいえ、赤子にも意思はあるし、話は全部聞いている。
思考力は幼稚園児や小学生と大差なかったんじゃなかろうか。
(こっちが動けんからって!
何も喋れんからって、ばかにしおって!
くっそー!!!
あんたら覚えとけよー!!!)
噴き出す悔しさと怒り、もどかしさや恥ずかしさが
ごちゃまぜになって、赤ん坊の私は「うぁーん」と泣いた。
そうするとまた大人たちは「あらー、泣いた泣いた」と
やんややんやの大賑わい。
(あんたらを楽しませるために屈辱を浴びたり、
泣いたり、してるんじゃないわーっ!!!)
と心底思ったが、伝えるすべもなく。
着ぐるみみたいな身体や、
「あーうー」しか言えない口が忌まわしかった。
お酒が入って悪乗りした祖父は、私をからかうべく
片手を蜘蛛のように動かしながら畳の上をにじり寄ってくる。
その手の動きは本能的に気持ちの悪いものだったし、
みんなの前で私に何かのリアクションをさせて
また盛り上がろうという祖父の魂胆にも腹が立って、
私はまた「うあぁぁーん」と悔し泣きをした。
それが面白くて祖父は何度も繰り返す。
何度も泣く、周りは笑う。
(やめてー。
やめてほしいのになんでやめてくれないのー。)
助けを求めて親戚の顔を見ても、誰もが笑顔で、腹が立った。
祖父を恨めしく睨みつけながら、しばらく泣いた。
人の集まるところは、怖い。
みんなで、私を笑う。
嫌がらせをする人は、やめてくれない。
止める手立ては、ない。
端的に表現すると、こんな嫌悪感が
人生最初の記憶から導き出された、印象だった。
それはその後の様々な経験によって、多少改善はしても
べっとりとこびりついた汚れのように、
私の奥深く、ずっと奥深くに残っていたらしい。
昨夜は、夫の助けによって
膨大なストレスと向き合う時間を持てた。
その中で、小さい私が泣いているのを見つけた。
イヤイヤしている私。抱っこして守ってほしい私。
眠ろうとする頃には、
人生最初の思い出がずるずるっと引き出されてきて
「だから、人と会うと緊張するんだ」
「だから、自分には悪いことが起きるし
避けようがないと思っていたんだ」
・・・と、じわじわ、納得していった。
もう32歳になったけれど、子どもも2人もいるけれど、
赤ん坊の私を、もう一度、ゆっくり抱っこしてあげよう、と思った。
大丈夫だよー。大丈夫だよー。 ってトントンして、
残りの人生で、安心させてあげよう。
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週末の晩ごはん。
集合日に作った、自然農野菜具だくさんけんちん汁。
庭でとれたカブは、(夫が)いただきものの菜の花と蒸し炒めに。
自然農米のMIXごはんには、
農園のプレーヤーさんからお裾分けいただいた
手作りの味噌漬け筋子を乗せて。
しみじみ美味しかったなぁー。
ごちそうさまでした!