2015年10月21日

余白と英才教育

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夫が何かの折に、
次女のことを「英才教育だから」と言った。

産まれたときからテレビなし、音楽なし、洗剤なし、薬なし・・・
など、育児の路線が定まっていたからだ。


畑で作業しているとき、視界の隅に次女が入った。

とて、とて、とて。

歩いてきて、ススキを拾う。
高く空に掲げて、じっと見る。

すいー、とトンボが流れていくのを
ススキ越しに、じぃーっと見る。

ススキと、トンボと、空と、風と。

いま、声をかけてはいけないな。
そう感じた。大切な時間なのだと。

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またある時、テラスで長女と泥んこ遊びをしたあと
放っておかれた次女が、延々とおままごとをしていた。

いろいろと考えながらやっているらしい。

容器を並べて、泥団子をひとつずつ運んでは、入れていく。
濡らして、取り出して、また配って。
ボウルを持って、またどこかに運ぶ。

1時間以上、一人で真剣に遊んでいた。

声をかけないで見守ろうと決めて、
長女とリビングから、隠れて見ていた。

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次女の感覚がどんどん開いているのを感じる。


最近、車でちょっと畑に寄って
次女には、車から外を眺めて待っていてもらうことがあった。

手間取って結構遅くなっても、結局1時間かかってしまっても、
次女は何も泣かず、ちょっと不思議になった。

そーっと見に行くと、虫の大合唱に聞き入っていた。

開けた窓から見える畑、草、花、空、飛んでいく鳥たち。
聞こえてくる虫や鳥の声、風の音、飛行機、近所の犬。
花の香り、土の匂い。草の、風の、お日様の香り。

サラウンド。

小さなチャイルドシートに腰掛けて、
まさにそのとき、次女は全身で世界に耳を傾けているのだった。

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次男である夫と、次女である私はそれぞれ、
一人でずっと何かに没頭して遊んで育った。

特に幼少期、二番目の子には母の手が回らず、
割と放っておかれたからだ。


4歳半から家庭保育を始めた当初、
一人じゃ遊べなーい、つまんなーい、大人が何かしてよー、
と言う長女が全く理解できなかったのだが、

10ヶ月から保育園に預け始めた長女は、
「何か楽しいこと」を「大人が」用意してくれるのを
受け身で待つようになってしまったのだった。

ずっと保育園に行っていたら、気づかなかったこと。


長女の産まれた頃は、私が全く意識していなくて
“教育”テレビというんだから、
子ども向け・赤ちゃん向け番組があるから
見せようと思って、喜ぶだろうと、見せていた。

そのうち、家事がはかどるからとか、
言うことをきかせるため(動機づけ)に、テレビを使った。

CDについても同じで、もらったもの、買ったもの、
“子どもの喜びそうな”音楽をよく聴かせていた。
童謡とか、オルゴール曲とか、絵本を歌にしたのとか、
知育っぽいのから、教育テレビの人気曲、アンパンマンまで。

車ではおとなしくさせるのに使っていた(つもりだった)。
曲をかけていればそっちに気が向くから。


それに、狭いアパートに暮らしていて、
長女が何かするたびに声をかけ、ベタベタ一緒にいた。


その頃は、それが普通だったし、それでいいと思っていた。
でも今思うと、子どもに「余白」がなかった。

テレビに頭を奪われ、音楽で耳を奪われ、
私があれこれ介入して、遊びや行動をリードしていた。

長女には“与えること”ばかり頑張ってしまったな、と
今更ながら反省している。

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次女は「余白」をたっぷり楽しんでいる、まさに英才教育だ。

長女には、余白を与えずに育てたことを意識して
丁寧に過ごし方を考えていかないとなぁ、と思っている。


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むかごごはん。懐かしい〜
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炊きたてはまるでバターの風味なんですよ。不思議!
子どもの頃、これに塩ふって食べたっけ。

ごちそうさまでした!
posted by miya at 23:39| Comment(0) | 子育てと教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする