2014年06月02日

出産顛末 覚書き(病院編)

超スピード出産となった今回のお産。
余裕のなかった私とは対照的に
夫が様々な事を豊かに感じて表現してくれました。 → 手の中に

今日は、自宅編に続いて病院編を書いてみます。
※痛いのが苦手な人や妊娠中の人はご注意ください※


【産後の痛い処置】

夫が運転する車で病院前に到着すると
医療スタッフのみなさんが慌ただしく駆け寄った。

タオルにくるんだ赤ちゃんと
へその緒・胎盤入りビニール袋はお先に病院の中へ。
私は担がれて車椅子に乗せられ、
猛烈なスピードで処置室(分娩室?)に運ばれる。

産んで間もない産道に、子宮に、
先生が(恐らく)手を(!?)突っ込んで奥を調べる。

心臓が止まるかと思うほどの激痛。
大袈裟ではなく、痛みのショックで死ぬかと思った。

陣痛よりずっと痛くてつらくて絶叫すると
口元に布を押しあてられてモガモガ。

その間に器具で子宮内に残っていたという卵膜の一部を
ガシガシとかき出される。壮絶な痛み。

頼むから気絶させてください。

引き続き外側から子宮内の血液を全部出すとかで
腹を上から全力でぐいーっと押される。また悲鳴。

自然に裂けた会陰は麻酔の注射をしてから
てきぱきと先生が縫ってゆく。

ここに麻酔を打ってくれるのなら
到着後の全ての痛い処置に麻酔をしてほしかった(泣)!


結局、今回のお産で一番つらかったのは、この時間。

自然な陣痛は身体が受け入れても、
予測不可な数々の医療的処置は
心臓が割れそうに痛いことを実感した。


【分娩台での3時間】

処置の合間に出生時間を尋ねられる。

「15:50と15:55の間です」と答えると
「電話がきたのが50分だからその後よね」となり
「じゃあ、出生時間は15:53ってことにするよ、いい?」
誰も正確にはわからないのでもちろん承諾する。

「赤ちゃんは女の子ですよ」
助産師さんが教えてくれた。

自宅で出産したときも、病院に着いたときも
赤ちゃんはへその緒を股間に挟む格好だったので
私も夫もわざわざ性別を確認する余裕などなかった。
(夫は夜中まで、性別を知らぬまま待機することとなる)

次女は分娩台の隣の新生児用のベッドで
色々な処置をされ、沐浴したらしい(見えないけど)。

一緒に写真を撮って、形式上、産声カセットとやらを録音。
(どうする?とりあえずおめでとうございますって言って
 泣き声録音しとく?それしかないよねぇ
 などの助産師さんたちの会話をぼんやり聞く)

ちょっと体温が低いので保育器に連れていきますね、
と声をかけられ、そのまま次女は行ってしまった。

産後2時間ほどゆっくり休んでくださいね、ということで
私は分娩台で一人になる。

下半身は血まみれになって全部脱がされ
頼りにしていた重ね履きの冷え取り靴下も丸ごと脱がして
助産師さんが洗ってくれてたので、素足がすうすう冷たい。
身動きできないまま、腰までどんどん冷えてきた。

夫と長女は車を降りたときから離れ離れなので
寒いとか、荷物から靴下を出して持ってきてとか
頼みようがない。ナースコールもどこにあるのかわからない。

私は気が小さい。
たまに通り過ぎる助産師さんは忙しそうで
つらい痛い身体で、彼女らに声をかけて
要望を言葉にするのは考えただけでしんどい。

1時間我慢したあと、ついに耐えかねて毛布をお願いした。
冷え切った手足はもう温まらない。頭もなんだか寒い。
そこからさらに2時間。休まらない休憩時間を過ごした。


【脳貧血を起こす】

夫と長女は、私が入院する予定の部屋で待っていた。

早くそこで休みたいと告げると、助産師さんは
立ってトイレにいって、ちゃんとお小水が出たら
お部屋にいって良いことになっていると言う。

介助されながら分娩台から降りて、立つ。

視界が暗転して、何もわからなくなった。


なんで床がこんな間近に見えるのかな
床って堅くて冷たいな

ぼんやり。
遠くで色んな声がする。

「このひと血圧がものすごく低いのよ」
「聞こえる?私の声、聞こえてる?目をあけて」
「立てるかなぁ、立ってみようか、あらダメみたい」
「車椅子持ってきて」

朦朧としたまま車椅子で部屋に連れていってもらったらしい。
夫や長女の声も聞こえるが、目が見えない。真っ暗だ。

「脳貧血起こしちゃったみたいで」
「そうですか、妻はかなりの低血圧で」
「ベッドに移動しますからね」
「手伝いますよ」いち、にの、・・・どさり
「ああ助かった、ご主人が力持ちで」

このあと、食事をひとくち食べては脳貧血で倒れ
トイレに立っては脳貧血で倒れ、が朝まで続く。

夫と娘は、夜の22時まで付き添って世話をしてくれた。

母の日特別メニューだという豪勢な食事を
夫は小さなスプーンで、少しずつ、
とても時間をかけて食べさせてくれた。


【次女は保育器へ】

次女が低体温から回復したと聞かされるが
出産当日の夜は私がこんな状態だったため
念のため保育器で体温を観察しながら
別々の階で過ごすこととなった。

翌日は私が回復したが、
これまた丸一日、“念のため”保育器預かりとなった。

いつまでも初乳があげられないまま
ミルクだけ飲まされて保育器で過ごす娘。
夕方、よろよろと新生児室を訪ねると
保育器の娘に久々に会えた。涙が出た。

母乳をあげたいと申し出て、試みるが、まだ上手く吸えない。
「まだ難しいでしょ」
あっという間に取り上げられて保育器へ入れられた。

せめて搾乳した母乳を哺乳瓶で与えてあげたかったが
「体重が少なめだからミルクじゃないとね」
とその助産師さんにたしなめられる。
母乳育児を推進している病院なのに、と悲しくなる。

出産の2日後、やっと娘は保育器を出て
私と同室で過ごせるようになった。

140514_1422~01.jpg

その後は母乳をたくさんあげたい私と、
体重をとにかく増やすべくミルクを重視する
(特に1人の)助産師さんとの
水面下の静かなバトルが続きます。

このまま入院後の日々へ突入すると長くなるのと
書きあげたらキリがないので、出産顛末はここで終了。
お付き合いくださりありがとうございました。

ラベル:生死
posted by miya at 10:29| Comment(3) | 妊娠・出産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする